2009年01月14日
マヤと真澄が婚約を発表し、世間の噂も下火になった頃、新年を迎えた。
マヤは初めての地方公演を無事に終え、その不在の間に真澄も自分の仕事に精力を傾け、ふたりとも一息ついたところである。
だが真澄の結婚に関わる発表をするに際して、なんの相談もなく事後承諾にされたことが気に入らないのか、以来英介の機嫌はすこぶる悪かった。
記者会見が英介の頭越しだったことをあとから知ったマヤは、仮にも結婚しようという相手の親に正式に許しを得ていないことが気がかりで、今更反対されたらどうしようなどと取り越し苦労をしている。
そんなマヤの恨み言に耐えかねて、結局真澄も英介のご機嫌取りをする気になった。
元旦のこの日、ふたりは速水邸に英介を訪れ年頭の挨拶を交わしている。
「明けましておめでとうございます。旧年中は何かとご心配をおかけしましたが、本年はさらにご期待に添えるよう努力して参りますので、相変わりませずよろしくご指導下さい。」
畳に両の拳をついて他人行儀な言い回しの挨拶をする真澄に、英介は憮然として返事をする様子もなかった。
わかっていて慇懃なセリフを選んだ真澄は、顔を上げて英介の仏頂面を面白そうに見やると、隣で緊張して座っているマヤに視線を移し、次はきみだというように目配せをした。
今の真澄の挨拶を聞いていたマヤは、自分もあんなかしこまった言葉を使わなくてはならないのかと思い、頭の中が真っ白になる。
舞台で繰り出すセリフなら呼吸するのと同じように口から出てくるのに、こういうときに使うべき語彙は、素のマヤにはあまりにも貧弱だった。
マヤは初めての地方公演を無事に終え、その不在の間に真澄も自分の仕事に精力を傾け、ふたりとも一息ついたところである。
だが真澄の結婚に関わる発表をするに際して、なんの相談もなく事後承諾にされたことが気に入らないのか、以来英介の機嫌はすこぶる悪かった。
記者会見が英介の頭越しだったことをあとから知ったマヤは、仮にも結婚しようという相手の親に正式に許しを得ていないことが気がかりで、今更反対されたらどうしようなどと取り越し苦労をしている。
そんなマヤの恨み言に耐えかねて、結局真澄も英介のご機嫌取りをする気になった。
元旦のこの日、ふたりは速水邸に英介を訪れ年頭の挨拶を交わしている。
「明けましておめでとうございます。旧年中は何かとご心配をおかけしましたが、本年はさらにご期待に添えるよう努力して参りますので、相変わりませずよろしくご指導下さい。」
畳に両の拳をついて他人行儀な言い回しの挨拶をする真澄に、英介は憮然として返事をする様子もなかった。
わかっていて慇懃なセリフを選んだ真澄は、顔を上げて英介の仏頂面を面白そうに見やると、隣で緊張して座っているマヤに視線を移し、次はきみだというように目配せをした。
今の真澄の挨拶を聞いていたマヤは、自分もあんなかしこまった言葉を使わなくてはならないのかと思い、頭の中が真っ白になる。
舞台で繰り出すセリフなら呼吸するのと同じように口から出てくるのに、こういうときに使うべき語彙は、素のマヤにはあまりにも貧弱だった。
マヤはすがるように真澄を見やるが、彼は素知らぬ風でうっすらと笑みを浮かべている。
そんな自分を、射るような目で英介が見つめているのに気がついて、ようやくマヤの重い口が開いた。
「あ…あの、ホントに、色々ご心配をかけましたけど、これからも一生懸命舞台をつとめますので、あの、会長さんにはよろしく見守っていた、頂きたく…あの、今年もよろしくお願いします。」
舌を噛みながらもやっとそこまで言い終えて、畳にこすりつけるばかりに下げた頭をおそるおそる上げたマヤは、やはり苦虫をかみつぶしたような顔の英介を見て訳もわからず恐縮した。
何かまずいことを言っただろうかと、確認するように真澄と目を合わせたが、彼はやれやれというように含み笑いをして、まったくあてにならない。
すると英介がやっと機嫌の悪い声で、
「ふん、まあいい。」と返事をした。
「この春の株主総会で、真澄の会長就任の承認を得る。半端な仕事をしていたら吊し上げを食うからな、そのつもりで事に当たれ。」
「承知しています。」
神妙な真澄の返事を聞いてから、英介はマヤに視線を移し、険しい顔つきになって言った。
「お前さんもだ。」
「え、えっ?」
急に矛先を向けられて、マヤがドギマギしながら英介の顔色を窺う。
「大都グループ総帥の妻になろうというつもりなら、もう少し堂々とした態度をとってもらわんと困る。恥をかくのは真澄だぞ。」
英介に自分の如才を言いあてられ、マヤの顔が泣きたくなる思いで熱くなった。
膝に置いた手を握りしめて俯き、
「…はい…すみません…」と消え入りそうな声で恥じ入る。
それまでマヤの様子を面白そうに見ていた真澄が口を開いた。
「マヤはこのままでいいんです。」
ふいに飛び込んできた真澄の言葉に、マヤが驚いて顔を上げた。
真澄はこの上ない優しい目を向けて、マヤを見つめている。
「僕の前で誰かの妻の立場を演じる女優を、妻にはしません。いつも不器用で、正直なままのマヤでいいんです。」
真澄がそう言って浮かべた笑顔を見て、マヤの顔が熱くなり目が潤んできたのは、今度は違う恥ずかしさだった。
真澄が英介に向き直ったときの表情には、勝ち誇ったような色がある。
厳しい言葉を吐く英介にも、実のところはマヤの素直な性質が憎めないでいるのを見透かしているからだった。
英介はその真澄にもいまいましい思いが湧いてくるが、それ以上言及するのは墓穴を掘ると知っているので、できるだけ冷たく聞こえるように、フンと鼻でせせら笑った。
「よく恥ずかしくもなくのろけるものだ。お前とも思えんが、まあいい。新年早々、くだらんことで言い争いはせん。」
そう言って話を打ち切ると、用意していた正月の膳を勧めた。
速水邸を辞して真澄のマンションに帰宅してから、マヤが深い溜息をついて言った。
「あたし、やっぱり会長さんにはあまり好かれてないんだわ。」
食事の間中緊張しっぱなしで、普段は旺盛な、マヤらしい食欲が見られなかったのを真澄もわかっていたが、唐突な彼女の言葉に怪訝そうな顔になる。
「なんだって?おかしなことを言うんだな。」
「だって、考えてみればあたし、会長さんには会ったときから失礼なことばかり言ったりしたし、婚約発表だって会長さんの頭越しだって知らないでいたし、きっと気にくわないことばかりしてるんだわ。今日だってずっと、不機嫌そうにあたしのこと見てたし…」
そのまま黙っていれば、いくらでもそんな不安を洩らしそうな様子のマヤに、真澄は思わずククッと笑いを洩らした。
それを聞きとがめて、マヤが真澄を睨みつけた。
「何よ、人ごとみたいに。どうせあたしはお芝居以外の社会常識に疎いから、何言われたって仕方ないけど、記者会見のことは速水さんにだって責任があるんですからね。自分の息子が親に黙って婚約を」
「ああ、わかったわかった。そのことは何度も謝っただろう。事後承諾にはなったが親父にもちゃんと話して許しをもらってるんだ。向こうもいつまでもそんなことにこだわってる訳じゃないさ。」
マヤが言いつのるのを遮って、真澄がもう何度も繰り返した言葉を、ここでもまた言って聞かせる。
マヤはふぅっと息を吐き出すと、真澄から目をそらして、坐っていたソファで膝を抱えて丸くなった。
「また口先だけでごまかして…じゃあ、どうして会長さん、あんなに機嫌が悪いのか教えてよ。」
マヤの声が淋しげにうわずって聞こえるのを、真澄は聞き逃さなかった。
マヤがこだわる理由が何となくわかるが、真澄はわざとそれを訊いてみた。
「親父に嫌われてたら、そんなにまずいのか?」
丸めた背中にそう問いかけられてマヤは、隣に坐った真澄から遠ざかるように顔をそむけたまま、口の中でブツブツと呟いた。
「…そりゃ…いずれはお父さんになる人なんだから、好かれたいと思うじゃない。」
「あの親父は好き嫌いに関係なく、誰にでもああいう態度だぞ。息子の嫁だからって、愛想がいいとは思わないがな。」
他人にも自分にも厳しい人だと聞いているから、真澄の言うことは当たっているだろう。
だが、英介が優しい目をして芝居の話を聞いてくれたり、励ましてくれたのを鮮明に覚えているマヤには、彼のよそよそしい態度はひどく淋しかった。
マヤの元気がなかなか浮上してこないのを見て、真澄は仕方なさそうに首を振って小さく溜息をついた。
「どうした、きみらしくないぞ。相手の顔色を見ながらものを言うチビちゃんだったか?」
「…いい加減そのチビちゃんて言うのやめてください。あたしだってもう子供じゃないんだから、誰にでもなんでも言える訳じゃありません。」
マヤが、思うことを素直に口に出せるのは真澄だからであるが、わざとらしい丁寧な口調で彼に反撃しようとしても、逆にやりこめられるのは変わらないパターンであった。
「その調子で親父にも言ってやればいいんだ。自分は大都グループと結婚する訳じゃないから、多少口下手でもほっといてくれって。」
真澄が自分を元気づけようとして言っているようにも聞こえるが、そこはかとなく皮肉っぽい響きも感じられ、マヤはなんと返事をしようかと言葉につまった。
口を開いて何か言おうとしたものの、何に怒っているのかわからなくなって飲み込んだかわり、急に涙がこみ上げてくる。
真澄はそんなつもりではない軽口のつもりだったので、マヤの泣き顔に慌ててしまった。
マヤの肩に手をかけて向き直らせると、
「困ったな、泣くほどのことなのか?」と言い、こぼれかけたマヤの涙を拭ってやった。
真澄の包み込むような手に触れられて、マヤもようやく正直な思いが言葉にできるようになった。
「…あたし…自分のお父さんのこと記憶にないから、会長さんのことお父さんて呼んで、はじめて会った時みたいにいろんなこと、お芝居の話とか聞いてもらえたらきっと楽しいだろうって…思ったけど」
何気なくこぼれたマヤの言葉だが、真澄の胸を締めつける感傷がおおった。
だが、それは表に出さず、
「うん、思ったけど…?」とあとを促す。
マヤは深く息を吸って吐いてから、それに答えた。
「でも会長さんにとっては、あたし女優にしか過ぎなくて、大都の跡を継ぐ人には物足りない結婚相手くらいにしか見えないんだろうなって、今日はつくづく実感した…」
諦めたように声が小さくなっていくマヤがいじらしくなり、真澄は彼女の体を抱き寄せた。
真澄の胸に顔をうずめて、しおれているマヤの髪にくちづけながら、真澄はそんなに落ち込むほど英介の態度があからさまだっただろうかと思い返してみる。
今日の英介は確かに仏頂面ではあったが、真澄にとっては見慣れている表情なので特に気にもならない。
そう言われれば、元の婚約者、鷹宮紫織に対しては、たいそうにこやかに応対していた記憶もある。
だがそれは自分がそうだったように、本人に対してというよりも、そのバックにあるものへの気配りに過ぎなかったはずだ。
英介が不機嫌な表情を取り繕いもせずにいること自体、マヤに気を許している証拠だと思うが、今のマヤにはなんの慰めにもならないのだろう。
真澄は、めそめそするマヤの顔を上げさせてその額に口づけると、唇を離さないまま言った。
「俺だけじゃダメなのか?ありのままのきみを愛してるのが」
そう言われて、息を飲んだマヤは返事につまる。
真澄の唇が額から離れると、気まずそうに彼を見上げて、
「そういうことじゃなくて」と、また泣きそうな声を出した。
真澄はフッと笑って、さらに固くマヤを抱き寄せると穏やかに言った。
「心配するな。いきなり親子になろうなんて思わない方がいい。言っただろう?夫婦になって、親になって、ゆっくり家庭を作るんだ。今すぐ、それが全部できると思うか?」
「それは…そうだけど…」
「それと同じだ。親父とも時間がかかっても、きっと家族になれる。だいいち俺自身、そう思えるようになるのに今までかかった。」
マヤはまだ不安げな目をしていたが、真澄の言葉に少しずつ心が凪いでいくのを感じていた。
「うん…」と呟いて考え込むように目を伏せると、真澄も安心する。
「俺もきみも、あの人も、結局不器用なんだな。似たもの同士なんだから上手くやっていけるさ。」
真澄が言い足した言葉に、マヤも思わず吹き出した。
そして顔を上げると、やっと明るい笑顔を取り戻して、
「そう…かもね。うん、そう思うことにする。ありがと、速水さん。」と真澄に応えた。
「それでこそチビちゃんだ。」
さっきやめて欲しいと言ったにもかかわらず、またチビちゃんと呼ばれてマヤの顔が険しくなった。
「もう、それやめてって言ったのに、速水さんもホントに成長しないのね。」
「仕方ないだろう。きみに速水さんて呼ばれる、とつい条件反射で」
マヤの文句に答えてそこまで言いかけた真澄は、頭にパッとひらめくことがあって言葉を止めた。
脳裏に今日の英介の仏頂面が浮かぶ。
(なんだ、親父も会長さん会長さんて呼ばれるのが気に食わないだけじゃないのか)
「速水さん?」と怪訝そうにマヤが覗き込むのを見て、自分の思い当たったことがひどくおかしくなり、笑いがこみ上げた。
そういえば、マヤは英介と会うたびに、いつも『会長さん』と呼びかける。
婚約の許しを得たときも、今日もそうだった。
マヤにそう呼ばれても、英介はムスッとして返事もしなかった。
真澄はそんな勘ぐりを、まさかと思う一方で、あり得ないことでもないと思い、一度洩らした笑いを抑えられない。
それは徐々に声が高くなって、苦しげになっていった。
マヤは真澄が何を笑っているのか皆目わからず、だんだん不愉快になってくる。
いきり立って、
「何よ、何がおかしいの!」と詰め寄ると、真澄は苦しげに息を吸いながら、
「いや、ちょっと…待ってくれ・・・今・・・」説明するからと言おうとして、なかなか言葉が継げない。
そんな真澄を見て、マヤはなお憮然とした表情になってしまった。
ようやく呼吸が整った真澄だが、マヤに「会長さんをやめてお父さんと呼んでみるといい」とアドバイスするのが、心のどこかで癪に障る。
それで英介を喜ばせてやるのがもったいない気がするし、マヤが嬉しそうに英介に甘えるのを見るのも、あまり気分が良くないかもしれない。
そんなことが頭をよぎって口籠もっていると、たまりかねたマヤが、
「速水さん!」と食ってかかった。
真澄はたじろぎながらも、さて、どうしようかと心の中で面白がっていた。
My sweet home 2へ
そんな自分を、射るような目で英介が見つめているのに気がついて、ようやくマヤの重い口が開いた。
「あ…あの、ホントに、色々ご心配をかけましたけど、これからも一生懸命舞台をつとめますので、あの、会長さんにはよろしく見守っていた、頂きたく…あの、今年もよろしくお願いします。」
舌を噛みながらもやっとそこまで言い終えて、畳にこすりつけるばかりに下げた頭をおそるおそる上げたマヤは、やはり苦虫をかみつぶしたような顔の英介を見て訳もわからず恐縮した。
何かまずいことを言っただろうかと、確認するように真澄と目を合わせたが、彼はやれやれというように含み笑いをして、まったくあてにならない。
すると英介がやっと機嫌の悪い声で、
「ふん、まあいい。」と返事をした。
「この春の株主総会で、真澄の会長就任の承認を得る。半端な仕事をしていたら吊し上げを食うからな、そのつもりで事に当たれ。」
「承知しています。」
神妙な真澄の返事を聞いてから、英介はマヤに視線を移し、険しい顔つきになって言った。
「お前さんもだ。」
「え、えっ?」
急に矛先を向けられて、マヤがドギマギしながら英介の顔色を窺う。
「大都グループ総帥の妻になろうというつもりなら、もう少し堂々とした態度をとってもらわんと困る。恥をかくのは真澄だぞ。」
英介に自分の如才を言いあてられ、マヤの顔が泣きたくなる思いで熱くなった。
膝に置いた手を握りしめて俯き、
「…はい…すみません…」と消え入りそうな声で恥じ入る。
それまでマヤの様子を面白そうに見ていた真澄が口を開いた。
「マヤはこのままでいいんです。」
ふいに飛び込んできた真澄の言葉に、マヤが驚いて顔を上げた。
真澄はこの上ない優しい目を向けて、マヤを見つめている。
「僕の前で誰かの妻の立場を演じる女優を、妻にはしません。いつも不器用で、正直なままのマヤでいいんです。」
真澄がそう言って浮かべた笑顔を見て、マヤの顔が熱くなり目が潤んできたのは、今度は違う恥ずかしさだった。
真澄が英介に向き直ったときの表情には、勝ち誇ったような色がある。
厳しい言葉を吐く英介にも、実のところはマヤの素直な性質が憎めないでいるのを見透かしているからだった。
英介はその真澄にもいまいましい思いが湧いてくるが、それ以上言及するのは墓穴を掘ると知っているので、できるだけ冷たく聞こえるように、フンと鼻でせせら笑った。
「よく恥ずかしくもなくのろけるものだ。お前とも思えんが、まあいい。新年早々、くだらんことで言い争いはせん。」
そう言って話を打ち切ると、用意していた正月の膳を勧めた。
速水邸を辞して真澄のマンションに帰宅してから、マヤが深い溜息をついて言った。
「あたし、やっぱり会長さんにはあまり好かれてないんだわ。」
食事の間中緊張しっぱなしで、普段は旺盛な、マヤらしい食欲が見られなかったのを真澄もわかっていたが、唐突な彼女の言葉に怪訝そうな顔になる。
「なんだって?おかしなことを言うんだな。」
「だって、考えてみればあたし、会長さんには会ったときから失礼なことばかり言ったりしたし、婚約発表だって会長さんの頭越しだって知らないでいたし、きっと気にくわないことばかりしてるんだわ。今日だってずっと、不機嫌そうにあたしのこと見てたし…」
そのまま黙っていれば、いくらでもそんな不安を洩らしそうな様子のマヤに、真澄は思わずククッと笑いを洩らした。
それを聞きとがめて、マヤが真澄を睨みつけた。
「何よ、人ごとみたいに。どうせあたしはお芝居以外の社会常識に疎いから、何言われたって仕方ないけど、記者会見のことは速水さんにだって責任があるんですからね。自分の息子が親に黙って婚約を」
「ああ、わかったわかった。そのことは何度も謝っただろう。事後承諾にはなったが親父にもちゃんと話して許しをもらってるんだ。向こうもいつまでもそんなことにこだわってる訳じゃないさ。」
マヤが言いつのるのを遮って、真澄がもう何度も繰り返した言葉を、ここでもまた言って聞かせる。
マヤはふぅっと息を吐き出すと、真澄から目をそらして、坐っていたソファで膝を抱えて丸くなった。
「また口先だけでごまかして…じゃあ、どうして会長さん、あんなに機嫌が悪いのか教えてよ。」
マヤの声が淋しげにうわずって聞こえるのを、真澄は聞き逃さなかった。
マヤがこだわる理由が何となくわかるが、真澄はわざとそれを訊いてみた。
「親父に嫌われてたら、そんなにまずいのか?」
丸めた背中にそう問いかけられてマヤは、隣に坐った真澄から遠ざかるように顔をそむけたまま、口の中でブツブツと呟いた。
「…そりゃ…いずれはお父さんになる人なんだから、好かれたいと思うじゃない。」
「あの親父は好き嫌いに関係なく、誰にでもああいう態度だぞ。息子の嫁だからって、愛想がいいとは思わないがな。」
他人にも自分にも厳しい人だと聞いているから、真澄の言うことは当たっているだろう。
だが、英介が優しい目をして芝居の話を聞いてくれたり、励ましてくれたのを鮮明に覚えているマヤには、彼のよそよそしい態度はひどく淋しかった。
マヤの元気がなかなか浮上してこないのを見て、真澄は仕方なさそうに首を振って小さく溜息をついた。
「どうした、きみらしくないぞ。相手の顔色を見ながらものを言うチビちゃんだったか?」
「…いい加減そのチビちゃんて言うのやめてください。あたしだってもう子供じゃないんだから、誰にでもなんでも言える訳じゃありません。」
マヤが、思うことを素直に口に出せるのは真澄だからであるが、わざとらしい丁寧な口調で彼に反撃しようとしても、逆にやりこめられるのは変わらないパターンであった。
「その調子で親父にも言ってやればいいんだ。自分は大都グループと結婚する訳じゃないから、多少口下手でもほっといてくれって。」
真澄が自分を元気づけようとして言っているようにも聞こえるが、そこはかとなく皮肉っぽい響きも感じられ、マヤはなんと返事をしようかと言葉につまった。
口を開いて何か言おうとしたものの、何に怒っているのかわからなくなって飲み込んだかわり、急に涙がこみ上げてくる。
真澄はそんなつもりではない軽口のつもりだったので、マヤの泣き顔に慌ててしまった。
マヤの肩に手をかけて向き直らせると、
「困ったな、泣くほどのことなのか?」と言い、こぼれかけたマヤの涙を拭ってやった。
真澄の包み込むような手に触れられて、マヤもようやく正直な思いが言葉にできるようになった。
「…あたし…自分のお父さんのこと記憶にないから、会長さんのことお父さんて呼んで、はじめて会った時みたいにいろんなこと、お芝居の話とか聞いてもらえたらきっと楽しいだろうって…思ったけど」
何気なくこぼれたマヤの言葉だが、真澄の胸を締めつける感傷がおおった。
だが、それは表に出さず、
「うん、思ったけど…?」とあとを促す。
マヤは深く息を吸って吐いてから、それに答えた。
「でも会長さんにとっては、あたし女優にしか過ぎなくて、大都の跡を継ぐ人には物足りない結婚相手くらいにしか見えないんだろうなって、今日はつくづく実感した…」
諦めたように声が小さくなっていくマヤがいじらしくなり、真澄は彼女の体を抱き寄せた。
真澄の胸に顔をうずめて、しおれているマヤの髪にくちづけながら、真澄はそんなに落ち込むほど英介の態度があからさまだっただろうかと思い返してみる。
今日の英介は確かに仏頂面ではあったが、真澄にとっては見慣れている表情なので特に気にもならない。
そう言われれば、元の婚約者、鷹宮紫織に対しては、たいそうにこやかに応対していた記憶もある。
だがそれは自分がそうだったように、本人に対してというよりも、そのバックにあるものへの気配りに過ぎなかったはずだ。
英介が不機嫌な表情を取り繕いもせずにいること自体、マヤに気を許している証拠だと思うが、今のマヤにはなんの慰めにもならないのだろう。
真澄は、めそめそするマヤの顔を上げさせてその額に口づけると、唇を離さないまま言った。
「俺だけじゃダメなのか?ありのままのきみを愛してるのが」
そう言われて、息を飲んだマヤは返事につまる。
真澄の唇が額から離れると、気まずそうに彼を見上げて、
「そういうことじゃなくて」と、また泣きそうな声を出した。
真澄はフッと笑って、さらに固くマヤを抱き寄せると穏やかに言った。
「心配するな。いきなり親子になろうなんて思わない方がいい。言っただろう?夫婦になって、親になって、ゆっくり家庭を作るんだ。今すぐ、それが全部できると思うか?」
「それは…そうだけど…」
「それと同じだ。親父とも時間がかかっても、きっと家族になれる。だいいち俺自身、そう思えるようになるのに今までかかった。」
マヤはまだ不安げな目をしていたが、真澄の言葉に少しずつ心が凪いでいくのを感じていた。
「うん…」と呟いて考え込むように目を伏せると、真澄も安心する。
「俺もきみも、あの人も、結局不器用なんだな。似たもの同士なんだから上手くやっていけるさ。」
真澄が言い足した言葉に、マヤも思わず吹き出した。
そして顔を上げると、やっと明るい笑顔を取り戻して、
「そう…かもね。うん、そう思うことにする。ありがと、速水さん。」と真澄に応えた。
「それでこそチビちゃんだ。」
さっきやめて欲しいと言ったにもかかわらず、またチビちゃんと呼ばれてマヤの顔が険しくなった。
「もう、それやめてって言ったのに、速水さんもホントに成長しないのね。」
「仕方ないだろう。きみに速水さんて呼ばれる、とつい条件反射で」
マヤの文句に答えてそこまで言いかけた真澄は、頭にパッとひらめくことがあって言葉を止めた。
脳裏に今日の英介の仏頂面が浮かぶ。
(なんだ、親父も会長さん会長さんて呼ばれるのが気に食わないだけじゃないのか)
「速水さん?」と怪訝そうにマヤが覗き込むのを見て、自分の思い当たったことがひどくおかしくなり、笑いがこみ上げた。
そういえば、マヤは英介と会うたびに、いつも『会長さん』と呼びかける。
婚約の許しを得たときも、今日もそうだった。
マヤにそう呼ばれても、英介はムスッとして返事もしなかった。
真澄はそんな勘ぐりを、まさかと思う一方で、あり得ないことでもないと思い、一度洩らした笑いを抑えられない。
それは徐々に声が高くなって、苦しげになっていった。
マヤは真澄が何を笑っているのか皆目わからず、だんだん不愉快になってくる。
いきり立って、
「何よ、何がおかしいの!」と詰め寄ると、真澄は苦しげに息を吸いながら、
「いや、ちょっと…待ってくれ・・・今・・・」説明するからと言おうとして、なかなか言葉が継げない。
そんな真澄を見て、マヤはなお憮然とした表情になってしまった。
ようやく呼吸が整った真澄だが、マヤに「会長さんをやめてお父さんと呼んでみるといい」とアドバイスするのが、心のどこかで癪に障る。
それで英介を喜ばせてやるのがもったいない気がするし、マヤが嬉しそうに英介に甘えるのを見るのも、あまり気分が良くないかもしれない。
そんなことが頭をよぎって口籠もっていると、たまりかねたマヤが、
「速水さん!」と食ってかかった。
真澄はたじろぎながらも、さて、どうしようかと心の中で面白がっていた。
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